【リワーク】諦めるチカラ

こんにちは。
 
年に一度の大雪もないまま2月が過ぎようとしていますね。
 
リワークプログラムでは、来期から新しい講座を新設します。少しずつヴァージョンアップです。当院のリワークでは、うつ病や不安障害など病気のリハビリ・再発予防だけでなく、ストレス対処力の向上やコミュニケーション力のアップ、考え方を拡張していくことなど、幅広い学びの場として人間力をのばしていく空間をめざしています。
 
さて、今回は「諦める」チカラについて。
 
「〇〇をあきらめる」「△△はあきらめなさい」ってよく聞く言葉かもしれません。
そんな「諦める(あきらめる)」という言葉にどんなイメージがあるでしょうか?
 
リワーク中なら、ブレスト(ブレーンストーミング) → KJ法 の合わせ技でアイデアをまとめてみたいテーマです。
 
例えば、何かを「断念する」、「捨てる」といったようなイメージが浮かんだとします。何かに【夢】をあてはめて「夢をあきらめる」としてみると、「夢を断念する」、「夢を捨てる」、、、、何だか後々にも未練や悔いが残る気がします…そもそも諦めきれてない感じもします。諦めるって、マイナスな言葉なのかな?
 
ちょっと別の視点でみてみましょう。
 
「諦める」には仏教用語としての意味があって、「あきらかにする(あきらかにみる)」という意味があるみたいです。しかも、物事の真実や道理(筋道や理)をあきらかにするという壮大な意味が。真実をあきらかにして、やっと「諦められる」という感じかなと思います。
 
「諦める」のはものすごいパワーがいりますね。
 
何やらうまくいかないと出来事に遭遇した時に諦めたくなったとします。
諦めるためには、うまくいかないことの要因をあきらかにして、やっと諦められると。ということは、うまくいかないことに向き合って、向き合って、試行錯誤して、迷い迷って、あーーーーーもう仕方がないってなったら、あきらめたってなるわけですね。しかも、向き合う時に、他者や外的要因に原因を求めるのではなく(他者や環境のせいにするのではなく)、自分の中にそれを求めるという感じもあるようです。ちょっと精神修行っぽいですね。
 
他者や環境を変えるのではなく、まずは自分を変えてみよう。
 
リワークの中でも「セルフモニタリング(自己観察)」「自分の認知(考え方)に気づくこと」など、自分に向き合って気づきを得ることを練習していますが、それにちょっと似ているのかもしれません。周りを変えるのを諦めて、自分を変えてみようというような。
 
向き合いたくないものって、あまりよく見ないで思い込みで判断してしまうことがあったりします。向き合いたくないのですからね…そうやって、中途半端に回避したり、投げ出したりしてしまう。そうすると、諦めたようで、諦めきれていない中途半端な状態が延々と続いてしまって、グルグル思考のスパイラルにはまっていく...あるあるなパターンに陥ってしまうかもですね。
 
もう、これだけ考えたのだから「仕方がない」ってなったら、「諦めた」と言えるのかな。物事の真実をあきらかにして、その上であきらめたといえること。諦めるために勇気をだして、嫌なものに向き合うこと。向き合うことはたいへんですが、あきらかにして、納得して前に進む感があるような気がしてきました。
 
諦めるって、ちょっとカッコいいですね。
 
もちろん、この考え方が正しいということではないです。これは大切なことです。
仏教用語としての「諦める」もひとつの考え方。他にもいろいろな考え方があっていいと思います。いろいろな考え方を知ることで、体験することで、世界が広がっていく感覚を楽しめたらいいなと思います。
 
よくよく考えると「諦める」って、短く略しすぎですね。
 
物事の真実や道理をあきらかにすることで、これはもう仕方がないことに気づき、やっと諦めることができる ⇒ 「諦める」
 
略しすぎたり、何となく英語でいってみたりすることで誤解を招くことがあるように。
 
そうすると「諦めない」(諦めることをしない)って、すごいことだ。仕方がないと気づいても、気づいても、、、、哲学的な無限のループにはまりそうなので、今回はこの辺で諦めましょう。
 
また来週です。
 
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うつ病・不安障害などで、休職中・退職された方を対象にリワークプログラムを行っています。メンバーで支えあいながら、「主体性」「楽しむ力」を養うこと、取り戻すことをテーマに活動しています。参加をご希望の方は、診察の際に主治医にご相談ください。